フランス ブルボン家に忍び寄るヘッセンの影 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ”【前編】

フランス ブルボン家に忍び寄るヘッセンの影 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ”【前編】

こんにちは。おちです。

前回の メタルレジスタンス第二章始めます から、だいぶ間があいてしまいました。

すでに記憶が薄れていると思いますので、少し振り返っておこうと思います。

言いたかったことは

  • BABYMETALという共通言語を通じて、異なる言語、異なる文化、異なる生い立ちを持った人々の間で相互理解が進んでいる
  • 違いを認め、お互いを尊重する精神はつながり感や安心感を感じることができ、喜びで溢れている。(『THE ONE』の精神。)
  • これに反して、ピラミッドシステムの下部組織である巨大勢力アイドル(電通)のプロパガンダ活動によって、日本人は思考をコントロールされ、隣国との仲違いが促進されている。
  • このまま踊らされ続けると支配者であるピラミッドシステムの上位に言いように操られ、望まない現実(戦争の道)へ進んでしまい、大切なものを失う
  • 望まない現実(戦争の道)を避ける、望む現実に変えるためには、世界の支配者層やその構造についての知識を得、正しく認識することが必要。

です。

メタルレジスタンス第二章は、ヘッセンによって乗っ取られたフリーメイソン、イルミナティ時代(18世紀〜20世紀にかけて)のお話しです。

BABYMETALがメタルレジスタンス第二章で辿った国々にフォーカスを当てていき、世界の支配層やその構造が理解できるようにして行きたいと思います。

では、始めたいと思います。

※『WORLD TOUR 2014 パリ』は全3話構成となっております。

BABYMETAL WORLD TOUR 2014(La Cigale)【パリ】

2014年7月01日にBABYMETALは、初のワールドツアーとしてフランスのパリで公演を行いました。

パリでの公演は見事に大成功!そして、パリっ子は声を枯らさんばかりの大熱狂でした!!

かわいさとかっこよさを持ち合わせた息の合ったキレキレのパフォーマンスを見せた他、SU-METALはソロ曲「紅月-アカツキ-」を披露。マントを翻しながら、正義感の強さを示すように、強い目力とまっすぐに響く歌声を放つ。YUIMETAL、MOAMETALは双子のように「おねだり大作戦」で“お願い お願い”と繰り返すラップに合わせて、タオルを振り回しながら左右にステップを踏み、あどけなさと小悪魔な姿を垣間見せ、観客を虜にしていった。

本編が終了すると“BABYMETAL!!”と口々に叫びながら、地団駄を踏むように足踏みをするフランス式のアンコールがなされる。その後、ハッピーバースデーの歌をYUIMETALへ合唱するという一体感も見せると、その声に応え再び登場したBABYMETAL。始まった「ヘドバンギャー!!」で、この日は途中、SU-METALからマイクを渡されたYUIMETALがセンターに立ち、歌うというサプライズも。

代表曲「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロが聴こえると、フロアの中央に空洞を作り、向き合う観客。すると、モッシュならぬ本物のウォールオブデスが繰り広げられ、本気で体と体をぶつけ合う。また、YUIMETALとMOAMETALのバトルシーンはさらに見る者を掻き立て、拍手の他に、ピーッと口笛で賞賛する声が鳴り止まない。

そのまま、終演まで隙を見せることなく、完璧なパフォーマンスで一気に駆け抜けた彼女たちであったが、最後“We are BABYMETAL!!”と言い放つと、それまで凛としていたSUI-METALが一度大きく深呼吸をし、その場を惜しむように感無量の柔らかい表情を見せると大歓声が沸き起こる。そして“See you!”と足並みを揃えて大歓声の中、その場を去っていった。

出典:BARKS

終演後、現地のファンの声を聞いたところ、いわゆるドルオタだけでなく、純粋なメタルファンの多さも驚くべき点。アイドルとメタルといった相容れないシーンの共通項となって音楽シーンを盛り上げてきた彼女たちは、今や日本を飛び出し、世界の共通項ともなる活躍を見せているのを目の当たりにしたライブであった。

引用元:【ライブレポート】BABYMETAL、ヨーロッパツアー初日パリ公演で大盛況の幕開け(BARKS)

BABYMETALは初のワールドツアーの初戦を大勝利で飾っています。

そして、この公演はYUIMETAL生誕祭。ヘドバンギャーの後半部分ではYUIMETALが歌うなど特別仕様。

このことは、今となってはとても貴重なものとなっています。

ブルボン

で、フランスで抑えておきたいのはブルボン家

ブルボン・・・。

聞いたことありますでしょうか?

お菓子のブルボンではないですよ!!

出典:ROCKET NEWS24

 

ブルボンのお菓子はどれも秀逸♪

ルイ16世やマリー・アントワネットなら聞いたことありますか?

また、「朕は国家なり」と傲慢かました「太陽王」と呼ばれるルイ14世はどうでしょう?

ヴェルサイユ宮殿なら知っていますか?

ルイ14生はヴェルサイユ宮殿を建築した人です。

・・・

そしてフランスの歴史で重要になるのが、いや、世界の歴史で重要なのが『フランス革命』です。

ここが近代史におけるターニングポイント。世界の支配層や構造を理解するためにはここを抑えておく必要があります。

フランス革命』は『アメリカ独立革命』と並び、絶対王政から資本主義(民主主義)へ移行する決定的な出来事。

で、この『フランス革命』を理解するには絶対王政側であるブルボン家についての理解が必要です。

ブルボン家の紋章 出典:Wikipedia

 

ブルボン家はかつてのフランス王家であり、また現在のスペイン王家であり、さらに両シチリア王国など現在のイタリアの一部を治めていた家系でもあります。

現在のルクセンブルク大公家もブルボン家の後裔です。

繰り返しになりますが、ブルボン家で最も有名なのがフランス革命時にギロチンで処刑されたルイ16世マリー・アントワネット

そして、「朕は国家なり」のルイ14世

ブルボン家が収めたブルボン朝は近世フランス王国の王朝で、1589年から1792年まで、一時中断(フランス革命で王位を追われた)を挟んで1814年から1830年(王政復古したが、7月革命で再び王位を追われた)まで続いています。

カトリックとプロテスタントの宗教戦争であったユグノー戦争の最中にヴァロワ朝が断絶して、遠縁筋のブルボン家のアンリ4世(1553年-1610年)がカトリック教徒のフランス国王として即位したことでブルボン朝が成立しています。

Wikipediaによると、このときメディチ家の財力を受け継いだそうです。

※メディチ家とは、ルネサンス期(14世紀?16世紀)のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭、フィレンツェの実質的な支配者として君臨した一族です。

※レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロン(経済的後援者)がメディチ家であることは有名です。またメディチ家は医薬品や毒薬などを取り扱い、メディカル(医療)の語源ともなった一族です。

このメディチ家のマリー・ド・メディシスが、アンリ4世の第二王妃となったことでメディチ家の豊富な財力がブルボン家に受け継がれました。

アンリ4世

アンリ4世がブルボン朝の初代国王です。フランス国民の間で人気の高い王の一人で『大アンリ、良王アンリ』と呼ばれています。

アンリ4世 出典:Wikipedia

 

少年時代に、あの「1999年7の月に人類が滅亡する」で有名なノストラダムスから、アンリが将来国王になると予言された逸話が伝わります。

出典:Google.com

 

※ちなみにMOAMETALは1999年7月4日に生誕している。

当時は宗教戦争の真っただ中。

アンリ4世はナントの勅令を発布してカトリックとユグノー(プロテスタント)との国内融和に努めました。

そして40年近くにわたるユグノー戦争を終結させ、フランス国内を安定させました。

アンリ4世は国家経済の再建、農業の促進、開墾地の拡大、公共事業の活発化などの政策を行い、さらに教育機関の拡充、街道の整備、森林の保護、橋や運河の整備を推し進めています。

また、セーヌ川にまたがるポンヌフ橋の建造を中心とした首都パリの大規模な再開発計画を実行し、パレ・ロワイヤルルーブル宮殿の大ギャラリーを建造。

さらにアンリ4世はあらゆる芸術家・工芸家を招いてルーブル宮殿に住まわせ、創作活動を行わせました。

これらの適切な施策によって内戦で疲弊したフランスは盛り返し、繁栄していきます。

そして、アンリ4世は海外にも着目。

北アメリカの探検にサミュエル・ド・シャンプランを派遣、これは後に北米(カナダ含む)の広大な地にフランスの植民地が築かれる基礎となりました。

さらに対インド貿易でオランダ、イギリスに対抗すべくフランス東インド会社を設立。(1604年)

アンリ4世の仕事は見事で打った施策の殆どがフランス(ブルボン家)が発展する礎となっています。

ルイ13世 三銃士の時代

で、アンリ4世の息子がルイ13世(1601年-1643年)。

ルイ13世 出典:Wikipedia

 

ルイ13世は、有能なリシュリュー枢機卿を重用してユグノーなどの国内の抵抗勢力を制圧し、国外では三十年戦争でハプスブルク家と戦い、国政を整備して最初期の絶対君主の一人となりました。

※リシュリュー枢機卿は三銃士で悪役として描かれています。実際は、とても有能な宰相でフランスを強国にした第一人者です。

ここで、三十年戦争ハプスブルク家に勝利したのは大きい。

これもリシュリュー枢機卿の優れた仕事のおかげなんですよね。

子共の頃『アニメ三銃士』が好きだったなぁ・・・。(遠い目)

ルイ14世 「太陽王」

そして、その息子である「朕は国家なり」のセリフで有名な「太陽王」ルイ14世(1638年-1715年)。

ルイ14世 出典:Wikipedia

 

ルイ14世は対外戦争を積極的に行い、ネーデルラント継承戦争仏蘭戦争で領土を拡張して権威を高め、絶対君主制の確立とヴェルサイユ宮殿を建設するなど、ブルボン朝の最盛期を築いています。

ルイ14世の重商主義によって、フランス東インド会社は1664年に国営貿易会社として認可され、再組織化が図られます。

本格始動がイギリスやオランダより半世紀以上遅かったのですが、その成果としてインド東海岸のポンディシェリを獲得。

インドのポンディシェリはフランスの中継貿易基地として繁栄するようになりました。

また、北米では1699年にミシシッピ川流域にルイジアナ植民地が樹立されたことによって一挙に拡大。

その領域は、ミシシッピ川流域のほとんどを含んでおり、南北は五大湖からメキシコ湾まで、東西はカナダを含めたアパラチア山脈からロッキー山脈まで広がっています。

出典:Wikipedia

 

濃い青がフランス領ルイジアナ、青が他のフランス植民地

さらに、ルイ14世はスペインを獲得しています。

スペインのハプスブルク家のカルロス2世が嗣子を残さず没してスペイン・ハプスブルク朝が断絶した後、ルイ14世は血縁関係を利用し、強引に孫のアンジュー公フィリップをフェリペ5世としてスペイン王に即位させました。(1700年)

当時のスペイン(ハプスブルク家)は八十年戦争で絶対的な力は削がれていましたが、新大陸に広大な植民地(ヌエバ・エスパーニャ)を有し、フィリピンナポリシチリアといった南イタリアのほぼ全土の王位を持つなど、その力はいまだ侮り難いものでした。

フェリペ5世のスペイン王即位により、ルイ14世はスペインを実質上、手中に収めています。

これにより当時のフランス(ブルボン家)は、神聖ローマ帝国のハプスブルク家に変わって世界に覇を唱える一大勢力となりました。

が、それに反発したヨーロッパの諸勢力(イングランド、オランダ、オーストリア、後にサヴォイア、ポルトガルが加わる)によって、フランス(ブルボン家)は取り囲まれてしまいます。

それがスペイン継承戦争(1701年-1714年)です。

スペイン継承戦争〜勃発!!〜

ちなみにスペイン継承戦争による北アメリカ大陸で行われた局地戦はアン女王戦争と呼ばれます。

交戦勢力は

  • フランス王国(フランス、ブルボン家)
  • スペイン帝国(スペイン、ブルボン家)

vs

  • 神聖ローマ帝国(オーストリア、ハプスブルク家)
  • グレートブリテン王国(イギリス、オラニエ=ナッサウ家、ヘッセン家)
  • ネーデルラント連邦共和国(オランダ、オラニエ=ナッサウ家)
  • プロイセン王国(ドイツ、ヘッセン家)
  • サヴォイア公国(イタリア北西部とフランス東部、ジュネーヴ(現スイス)、サヴォイ家)

です。

『ブルボン vs ハプスブルク、ヘッセン、おまけのサヴォイ』

ハイ。ブルボン家を取り囲んだプロデューサーはヘッセンです。

サヴォイは最初、ブルボン側についてましたが、途中でヘッセン側に寝返りました。

ちなみにオラニエ=ナッサウとヘッセンは同族です。

ここから少し話が横道にそれます。

ヘッセンがイギリスをのっとる過程を抑えておきましょう。

イギリスをのっとるヘッセン(横道だけども超重要)

重要なのが、名誉革命(1688年-1689年)です。

これによりオラニエ公ウィレム三世がイングランド(イギリス)の王位につきました。

ウィレム三世には実子がいなかったため、ヨハン・ウィレム・フリーゾが相続人として指名されます。

そして、このフリーゾの妻がヘッセン=カッセル方伯カールの娘マリア・ルイーゼ。ヘッセンです。

この二人の子供がウィレム四世

ウィレム四世はグレートブリテン(当時のイギリス)王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の長女アンと結婚しています。

また、ジョージ2世の4女であるメアリーヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世と結婚。

これらの血脈によってハノーヴァー朝が確立されていきました。

Wikipediaではハノーヴァー朝はヴェルフ家の流れを汲むとありますが、ヘッセンのルーツがヴェルフ家です。

よって、ハプスブルクを倒した後、ヘッセンはイギリスを手に入れました。ドイツ、オランダ、イギリスの背後にはヘッセンが君臨しているということです。

引用元:BABYMETAL WORLD TOUR 2018 ユトレヒト編 

ヘッセンがグレートブリテン王国(イギリス)に入り込む様が理解できます。

そしてジョージ2世の4女であるメアリーの夫、ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世についても詳しく見ておきましょう。

(5)フリードリヒ2世(ヘッセン=カッセル方伯)(1720年-1785年)※重要

フリードリヒ2世 出典:Wikipedia

 

1740年にイギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリー(1723年-1772年)と結婚した。

1775年にアメリカ独立戦争が勃発するとフリードリヒ2世はイギリスとの間に傭兵提供条約を結び、これによって莫大な収益をあげた。1785年にカッセルで死去し、次男ヴィルヘルムがヴィルヘルム9世として方伯位を嗣いだ。

※ここでヘッセンは傭兵ビジネスでイギリス掌握への基盤を固めていく。

子女

ヴィルヘルム9世(ヘッセン=カッセル方伯)、またはヴィルヘルム1世(ヘッセン選帝侯)(1743年-1821年)→(6)へ

ヘッセン=カッセル方伯としてはヴィルヘルム9世、イギリス王兼ハノーファー選帝侯ジョージ2世の王女メアリーの息子。父、フリードリヒ2世の死後、ヘッセン=カッセル方伯を継いだ。

※ヴィルヘルム9世は、ロスチャイルド家の祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルトと1775年に知己を得、1801年から彼に財産の運用を任せるようになった。ロートシルトはこれを奇貨とし、現代まで続くロスチャイルド財閥の基礎を築いた。

フリードリヒ・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム(1747年-1837年)→(6)’へ

フリードリヒ3世とも呼ばれる。ヘッセン家諸家の中で現在も続く分家、ヘッセン=ルンペンハイム家の始祖である。

カール・フォン・ヘッセン=カッセル(1744年-1836年)

「アジア秘儀入門騎士兄弟会」のグランドマスター。

謎の人物サン・ジェルマン伯爵はこの運動の一員であった。事実、サン・ジェルマン伯爵は1778年からカール方伯のもとに移り住み、カール方伯は伯爵の弟子となり後援者となったのであった。

※サン・ジェルマン伯爵の背景は ボヘミアン・ラプソディー ヴァイキングとアシュケナージ・ユダヤ メタルレジスタンス ”巨大コルセット祭り”【後編】 を参照。

「アジア秘儀入門騎士兄弟会」は、メーソン黄金バラ十字団の後継組織。それは伝説的な秘密組織であったにも関わらず18世紀にドイツに起こり、当時ドイツで最も重要なメーソン団となった「謹厳遵守テンプル騎士団(Templar Strict Observance)」の覚醒を促すこととなった。

参考:その10 バラ十字運動とフリーメーソン、エジプトとエッセネ派とテンプル騎士団の起源(後半)

この薔薇十字団の思想を後に引き継ぐのがアレイスター・クロウリーの東方聖堂騎士団。この団体がイルミナティの復興運動を行っている。イルミナティ BABYMETALのメタルレジスタンス

参考:その13 マギのバラ園(前半)

引用元:イルミナティ奥の院 ヘッセン メタルレジスタンス【前編】

フリードリヒ2世(ヘッセン=カッセル方伯)の息子がヴィルヘルム9世で、ロスチャイルドの始祖であるマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドを登用、ヘッセンの金庫番に取り立てた。

※ロスチャイルドについてよく知らないという方はこちらのブログがオススメです。

ロスチャイルドは、陰謀論ではユダヤ金融資本の本丸であり、世界を牛耳っていると言われています。

この認識は全く誤りではありませんが、まだまだ中途半端な認識です。

そこからさらに突き詰めればヘッセンに行き着くはずです。

っていうかWkipediaにフツーに書かれてるのでポイントを抑える事ができれば理解できるようになっています・・・。

そして、ヴィルヘルム9世の弟カール・フォン・ヘッセン=カッセルがフリーメイソンやイルミナティを乗っ取った。

詳しくは イルミナティ奥の院 ヘッセン メタルレジスタンス【後編】 を参照。

ここが現代のイルミナティ、三百人委員会、ブラックフリーメイソン、薔薇十字団、東方聖堂騎士団といったオカルト満載の源流。

このブログでヘッセンがピラミッドシステムの奥の院(最上位)と定義している所以です。

スペイン継承戦争がもたらしたもの

話を戻します。

元々スペインはハプスブルク家の国。

ハプスブルクとヘッセンは八十年戦争(三十年戦争含む)で敵対関係でありましたが、ルイ14世の独壇場を阻止するという利害関係が一致し連合を組みました。

当時のオランダとイギリスは東インド会社によって世界に覇を唱えていました。

この頃の『ヘッセン、オラニエ=ナッサウ(オランダ、イギリス)』は、ブルボン家(フランス、スペイン)に迫るほどの力を持っています。

で、ハプスブルク家も神聖ローマ帝国として君臨していた頃よりかなり力が削がれていましたが、まだまだその力は健在です。

また、サヴォイも侮れません。八十年戦争(三十年戦争)でスイスから傭兵を貸し出し勝利に貢献したことにより、『ヴェストファーレン条約』で特権を得ており、虎視眈々と勢力拡大を図っています。

参考:打倒!ハプスブルク!!八十年戦争 メタルレジスタンス【後編】

これらの連合がブルボン家のルイ14世の勢力拡大政策に対抗。

結果、ブルボン家はヘッセン、ハプスブルク連合軍に押し込まれた形となりました。

ルイ14世の孫、アンジュー公フィリップはスペイン王、フェリペ5世として認められたものの、下記のとおり失ったものは非常に大きなものがあります。

ユトレヒト条約によってブルボン家は、

  • フランスとスペインの合同禁止を受け入れさせられた。(フランスとスペインの分離)
  • 戦略上の要地であるジブラルタルがイギリス軍に占領され、大西洋から地中海におよぶ制海権をイギリス海軍に奪われた。
  • 広大な北米の地をイギリスに奪われた。

ユトレヒト条約はヘッセンの一人勝ちです。^^;

この条約によりイギリス(ヘッセン)は、その後の大英帝国の基礎を築くことになりました。

またラシュタット条約によってブルボン家は、

  • ネーデルラントと北イタリア、ナポリ、サルデーニャのスペイン領はオーストリア(ハプスブルク)に奪われた。
  • シチリア王国(イタリアのシチリア島)をサヴォイに奪われた。

ここからブルボン家は斜陽の道を辿ることになります。

反対にフランス(ブルボン家)を抑えたイギリス(ヘッセン)は、ここから勢力を拡大していきます。

そして、それを決定づけたのが七年戦争(1756年-1763年)です。

七年戦争はおそらく真の意味ではじめての世界大戦であり、第一次世界大戦から160年前におきたこの戦争は世界中に影響を及ぼしました。

・・・だいぶ長くなってきました。

続きはまた次回に語りたいと思います。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

それでは。また。

おち

→次の記事 フランス 啓蒙思想 フリーメイソンと初期イルミナティはライトサイド メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ“【中編】

※アイキャッチ画像は、くろもり @crmo2018 さんの作品です。お借りさせて頂きました。

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