こんにちは。おちです。
前回は、メタルレジスタンス Legend”D”から、巨大勢力”アイドル”の文化・風習について触れました。
今回はメタルレジスタンス Legend”Z”。巨大勢力”アイドル”の歴史について触れていきます。
※注意!!この「メタルレジスタンス」のお話は全て私の妄想。遊びです。BABYMETALの「メタルレジスタンス」の解釈は無限にありますので私の話だけに固執しないようにお願いします。
尚、電通を巨大勢力”アイドル”に置換してお読み下さい。例えば電通マンは巨大勢力”アイドル”マンに置換するのが、私のメタルレジスタンスにおける正しい読み方です。
では始めます。
巨大勢力”アイドル”(電通)の歴史を辿る
むかしむかし、そのむかし・・・
巨大勢力アイドルに立ち向かい勇敢に戦った少女がいた。
“紅の7日間” 戦いの末、少女の魂は”紅の炎”となり 7日間に渡って燃え続けたのであった。
そして少女の魂はキツネリスによって導かれた。
メタルの谷に、金色の月と紅の太陽が重なり合う
聖なる炎に包まれた女神がII(ふたたび)蘇るのだ!
これから、巨大勢力”アイドル”である電通の歴史を辿っていきます。
引用元:引用元:マスコミ業界の中心にいる電通 〜なぜ、こんなに力を持っているのか〜
●広告と通信はセットだった
日本電報通信社は、1907年に日本広告株式会社を併合して誕生した。誕生当初は、「広告業と通信業をセットで」行っていた。 これは、世界史における通信社の歴史と同一である。
世界初の通信社は、フランスのアヴァス(後のAFP通信)だと言われている。
ロスチャイルドが情報を操作して、資産を大きく膨らませていた時代に誕生した。(このアヴァスからロイター通信などが生まれる。ロイター通信は、後のイギリス諜報部(MI6)の母体となる。)
アヴァスは、同時期に登場していた新聞社に、情報を売っていく。新聞社はアヴァスがもたらす情報によって、紙面を埋めることが可能になった。
しかし、新聞社が通信社を頼る度合いが強まると、通信社に払う金が嵩み、通信料を払えないという事態が頻発した。そこでアヴァスは、通信料の換わりに、広告枠を引き受け、広告を出そうとするスポンサーからカネを取るという手法を編み出す。
☆これを初期の電通も踏襲した。 このことは、紙面のほとんど全てを電通が握ってしまったことを意味する。新聞社(メディア)に絶大な権力を持ったのも当然だった。
●通信社の一本化
満州事変の際には、国策によって国内の通信社が一本化される。政府・軍部が国内の情報統制をやりやすくするためだった。
この結果 新聞総合社の広告部門が電通に 電通の通信部門が新聞総合社(→同盟通信)に吸収される。
☆戦前に、広告業の電通と、通信社の同盟通信社とにそれぞれ一本化された。
●戦時中
同盟通信は南方の通信機器の独占使用や対外謀略放送の任務を軍部から託され、事実上軍部の国策の手足となって大本営発表を流し続けていた。
一方で、日本電報通信社(電通)は、広告のノウハウを生かして占領地で特務機関まがいの活動を行っていたとされ、軍部と密接な動きを見せていた。
●分かれてはいるが、根っこは一緒の電通・共同通信・時事通信
戦後の財閥解体の流れを受けて、同盟通信社が共同通信と時事通信に分割 →現在の、電通、共同通信、時事通信に →3つの会社に分かれているが、起源は一緒。
→しかも、電通、共同通信、時事通信は、互いの株を持ち合っている
☆電通、共同通信、時事通信は、ほぼ一体
●日本中に張り巡らされた電通人脈
一方で、日本電報通信社は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。
1947年、新社長に「鬼十則」で有名な吉田秀雄が就任すると、この動きはさらに加速した。 吉田は満州や上海から引き上げてきた、旧軍人・満鉄関係者を電通に大量に採用する。
彼らは広告のノウハウを持っていたわけではなく、電通で実質的にフィクサーとしての活動を行っていた。大陸人脈や政財界との近さ、そしてCIAとの関係など、彼らはミニ児玉・ミニ笹川の集団だったと表現しても過言ではない。
1951年に公職追放が緩和・解除されると、電通の旧軍人・満鉄関係者が続々と政財界に復帰していく。このようにして、電通人脈が日本中に張り巡らされていった。
1952年に、自民党・吉田茂から政党PRを依頼されてから、政府筋と電通との癒着は、決定的となった。
●アメリカのプロパガンダ手法を取り入れた電通
この社長吉田秀雄は、戦後の「大電通」を確立させた功労者だと言われる。電通の「フィクサー化」だけに留まらず、アメリカ式広告法(プロパガンダ手法)の導入などの、電通近代化を推し進めた。
上記で抑えておきたいのは
【戦時中】
- 同盟通信社は戦時中、対外謀略放送の任務を軍部から託され、事実上軍部の国策の手足となって大本営発表を流し続けていた。
- 電通は広告のノウハウを生かして占領地で特務機関まがいの活動を行っていたとされ、軍部と密接な動きを見せていた。※同盟通信も電通も起源は一緒。
【戦後】
- 電通は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。
- 吉田は満州や上海から引き上げてきた、旧軍人・満鉄関係者を電通に大量に採用。彼らは電通で実質的にフィクサーとしての活動を行っていた。
- 1951年に公職追放が緩和・解除されると、電通の旧軍人・満鉄関係者が続々と政財界に復帰していく。このようにして、電通人脈が日本中に張り巡らされていった。
DEATH!!
巨大勢力”アイドル”は戦時中、大本営の特務機関であり、そして戦後は旧軍人、満鉄関係者の大量採用。巨大勢力”アイドル”の人脈はフィクサーとして日本に張り巡らされたことが分かります。
どうりで、巨大勢力”アイドル”から帝国陸軍の空気が醸し出される訳です。
帝国陸軍(関東軍)が中国で何をしたかはよく見ておいた方が良いでしょう。関東軍の明確な軍規違反による暴走の結果、多くの日本人の生命が奪われています。
そして、何より現地の中国人の生命が奪われ、いや、生命が奪われるより遥かに凌ぐ苦しみが虐げられました。
巨大勢力”アイドル”である電通に触れると、何度か満州というキーワードが目につきます。
この満州について見ていきたいと思います。戦時中はまさに地獄の様相を呈していました。
地獄
関東軍直属の満州第731部隊は有名でしょう。731部隊は細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関であり、人体実験や現地で生物兵器の実践的使用を行っていました。
ここでWikipediaで731部隊を載せようと思いましたがやめておきます。
なぜなら、読むと非常に気が重たくなるからです。
なのでリンクは貼りません。そして具体的に書くことはツライです。精神的に拒絶反応を起こします。
もし、別途Wikipediaで731部隊を読む場合は、それなりの覚悟をして下さい。
私は調査がてら読みましたが、地獄を徘徊したようでダメージがでかかったです。吐き気がして、しばらく立ち直れませんでした。下手すればトラウマになります。 同じ人間がこんなことするなんて、ショックが大きい。
そして、Wikipediaではその土地の風景や建物の写真がありましたが、何とも陰鬱な風景、この世の終わり(終末)を想起させます。
ダメです。満州について掘れば掘るほど苦しくなります。
SU-METALを危機に追いやってしまったYUIMETALとMOAMETAL
2人は深く反省しSU-METALの仇を討つ為 2人だけで巨大勢力アイドルのエルサレム”A-KIBA”へと向かう
SU-METALを欠いて行うメタルレジスタンスは想像以上に過酷なものであった
絶体絶命の大ピンチ
その瞬間 2人にキツネ様のお告げが聞こえた
“郷に入れば郷に従え”
ネオンが消えたA-KIBAは黒く染まり 漆黒の街に重低音が鳴り響く
YUIMETALとMOAMETALは 遂に自らの力でこの世の終末を救う為
ダークヒロイン”BLACK BABYMETAL”へと変身するのであった
一生で一度の 最初で最後の “おねだり大作戦”が今始まる・・・
“おねだり大作戦”でも聞いて気を取り直します。
”結婚するならやっぱりパパー!!”
ハイ。何とか立て直しに成功しました。むぅ?!それにしても何たる可愛さ!
巨大勢力”アイドル”(電通)のルーツ
巨大勢力”アイドル”のルーツは満州にあります。満州人脈を追うことで巨大勢力”アイドル”のルーツが浮き彫りとなります。
そして満州人脈で中心となるのが、現日本のリーダーである安倍首相の祖父、岸信介です。
引用元:Wikipedia-岸信介-(重要と思われる所を抜粋)
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 – 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
この頃から、岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった。その後、満州から去る際に「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」という言葉を残している。
弐キ参スケとは、満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のことです。(下記から岸信介は除外しています。)
- 東條英機 日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。軍人および政治家として関東軍参謀長、陸軍航空総監、陸軍大臣、内閣総理大臣、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣などを歴任した。 東條は板垣征四郎や石原莞爾らと共に会の中心人物となり、同志と共に陸軍の人事刷新と満蒙問題解決に向けての計画を練ったという。編成課長時代の国策研究会議(五課長会議)において満州問題解決方策大綱が完成している。 (ちなみに板垣征四郎と石原莞爾は満州事変の首謀者です。)
- 星野直樹 国務院総務長官、 満州国では国務院総務長官として腕を振るい、満州国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東条内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。
- 鮎川義介(満州重工業開発株式会社)社長) 日本の実業家、政治家。日産コンツェルン創始者。満州重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。 1934年(昭和9年)、自動車製造株式会社を日産自動車製造株式会社と改称。同年『ドイツ系ユダヤ人五万人の満洲移住計画について』と題する論文を発表。5万人のドイツ系ユダヤ人を満州に受け入れ、同時にユダヤ系アメリカ資本の誘致を行うことにより、満州の開発を促進させると共に、同地をソビエト連邦(ソ連)に対する防壁とする構想を、ユダヤ専門家として知られる陸軍大佐・安江仙弘、海軍大佐・犬塚惟重、関東軍のいわゆる「大陸派」(満州進出を求めた多くの軍閥)に立案した(のち河豚計画へと展開する)。これにより、関東軍の後ろ盾を得る。南満州鉄道(満鉄)の理事だった松岡洋右ものちに河豚計画に参加。 (日産コンツェルンとは、日立や日産などを含む財閥です。そして、ふぐ計画。この辺りに千年王国を望む者との接点が見え隠れします。)
- 松岡洋右(満鉄総裁) 日本の外交官、政治家。満州国では満鉄総裁として弐キ参スケの一人に数えられた。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に、代表的な外交官ないしは外務大臣として関与。
弐キ参スケ。太平洋戦争時の日本の指導的立場であった人達です。東条英機は有名ですが、そこに同列として岸信介がいます。岸信介を中心に満州を見ていけば、満州が理解できます。巨大勢力”アイドル”のルーツも見えてきます。
岸信介に関してはこの記事がよくまとまっていたので、ご紹介します。
引用元:「どうする?マスコミ支配11」 「満州は私の作品」〜全てを売り飛ばした岸信介
【満州国】
1932年建国。岸信介は1936年に満州国国務院実業部総務司長に就任。
【南満州鉄道】
満州国建国に先立って中国で鉄道事業を行なった日本の国策会社。関東軍による満鉄の車両、線路などの度重なる爆破工作で満州事変へ。関東軍が満州全域を占領して満州国建国。初代総裁後藤新平。松方三郎、岩永裕吉(後の同盟通信社社長)が在籍。後藤新平は後に内務大臣。正力松太郎は内務省時代の部下で、後藤の勧めで読売新聞を買収。又後藤は後の日本放送協会(NHK)の初代総裁へ。
【満州国通信社】
日本の同盟通信社と並ぶ国策通信社で、初代主幹に阿片管理をして関東軍の資金源となった里見甫が就任。里見は戦後の岸の選挙資金も供出。
【満州映画協会】
満州国と満鉄が半分ずつ出資した満州国の国策会社。主に映画を通じた啓蒙、プロパガンダを目的とした国策映画を製作、上映。2代理事長甘粕正彦(軍人)は岸信介が指名したとも言われる。
【同盟通信社】
社長の古野伊之助は、正力とともに戦後岸信介が政界復帰までに主催した日本再建連盟の顧問。
敗戦により岸は当時の工作機関の指導者たちとA級戦犯として巣鴨プリズンに収監される。しかし、同じGHQによって無罪放免、戦後は自由民主党を結党して政米国による日本支配の工作政治家と化す。
「満州は私の作品」とは岸信介自身の言葉である。 彼が満州時代に築いた情報工作、裏金作りの機関は、敗戦によって当然統治国である米国に接収されるべきものである。
しかし、彼を反共の工作員として利用する価値を見出した米国(GHQ)はこれらの接収を行なわず、そのまま岸の政治活動の資金とした。
児玉誉士夫、笹川良一、里見甫らの戦時中の工作機関の利益は、戦後の右翼工作、政界工作、選挙工作の資金となって、岸信介の自由民主党結党(自由党と民主党の合流)を助けたのである(※同じく資産の没収を免れたものに松方コレクションの松方三郎、松本重治がいる)。
そして、もう一つ重要なことは、戦時中に日本が作り上げた情報工作機関の指導者たちも、戦犯や公職追放の人事工作を経て、ラジオ、テレビ、広告を中心とした米国式PR戦略の中核作りに奔走することだ。
確かに欧米諸国を敵に廻して闘った戦時中まで、彼の思想は「大東亜共栄圏」にあったのだろう。
そして満州国という壮大な実験場を得て彼の欲する国体の実現をもはや疑いはしなかったと言える。 その最後の闘争が東条内閣の閣僚時代にも国家総動員体制に発揮される。
戦後は東条とともに巣鴨に繋がれるが、東条が処刑されたのに対して、岸は見事に復帰して総理大臣にまでなる。この明暗が統治国アメリカの意思であった。
岸はそれに従い、戦中自らが作り上げた資金や機関を丸ごと米国の戦後日本工作のために供出したのである。 岸が供出した情報機関の人材は戦後「電通」に集結してより巧妙な米国式PR戦を展開する。
そこで米国は、国民が全く気づかぬうちに洗脳されてしまう恐ろしい支配の構造を作り上げた。そして、これらは徹底的に隠蔽されている。
満州国で特務機関や洗脳機関を駆使して様々な工作を隠蔽した岸が、最後に隠蔽したのが今も続く米国によるマスコミ支配の構造なのである。
米国が、占領統治下で現代にも通用する支配構造を作り上げたことを誰よりも良く知っていたのが、他ならぬ岸信介である。彼の隠蔽で、今も国民が騙され続けていることの罪は大きい。
※米国を1枚岩で見ると誤ります。北部と南部で分かれます。そして事情が複雑に絡み合っています。米国=悪の帝国と定義してしまうと陰謀論を展開するヘッセン陣営の罠にかかります。在日米軍はこれら日本に巣食う妖怪達の動きを封じるために存在しています。
満州国通信社の里見甫。この里見甫とは関東軍と共謀し、アヘン密売で多額の資金を捻出した里見機関の創設者。戦後、岸信介に選挙資金を提供するなど、岸信介とは蜜月な関係を持っています。
そして、「満州は私の作品」と語る岸信介。その豊富な人脈を活かし何を創りあげようとしていたのか。皇學館大学総長 を歴任した事実から、その思想の根本に流れるもの。このことは後述します。
その前に里見甫について詳しく見ていきましょう。
Wikipedia-里見甫-(重要と思われる所を抜粋)
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 – 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。
1923年6月、京津日日新聞の北京版として北京新聞が創刊されるとその主幹兼編集長に就任する。ここでの新聞記者活動を通じて、関東軍の参謀であった板垣征四郎や石原莞爾と知己となり、国民党の郭沫若と親交を結び、蒋介石との会見を行うなどして、国民党との人脈も形成された。
1931年9月に満州事変が勃発すると、翌10月に関東軍で対満政策を担当する司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が形成された。
また、司令部第4課課長松井太久郎の指示により、満州におけるナショナル・ニュース・エージェンシー(国家代表通信社)設立工作に務め、陸軍省軍務局課長鈴木貞一の協力のもと、新聞聯合社(以下「聯合」)の創設者岩永裕吉や総支配人古野伊之助、電通の創業者光永星郎との交渉を行い、1932年12月、満州における聯合と電通の通信網を統合した国策会社である満州国通信社(以下「国通」)が設立され、初代主幹(事実上の社長)兼主筆に就任する 。
1933年5月には、聯合上海支局長であった松本重治に、ロイター通信社極東支配人であり、後に同社総支配人(社長)となるクリストファー・チャンセラー(Christopher Chancellor)との交渉の斡旋を依頼して、交渉の末ロイターとの通信提携契約を結び、国通の名を国際的に印象付けている。
1937年11月、上海に移り、参謀本部第8課(謀略課)課長影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国語力を見込まれ、陸軍特務部の楠本実隆大佐を通じて特務資金調達のための阿片売買を依頼される。1938年3月、阿片売買のために三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂の副董事長(事実上の社長)に就任する。ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された商社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の地下組織青幇や紅幇などとも連携し、1939年、上海でのアヘン密売を取り仕切る里見機関を設立。
この活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤や、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助らとの地下人脈が形成された。
1965年3月21日、家族と歓談中に心臓麻痺に襲われ死去。千葉県市川市国府台の總寧寺にある里見の墓の墓碑銘「里見家之墓」は、岸信介元首相の揮毫による。
里見は「電通が今のような広告会社になったきっかけを作った一人である」とした佐野眞一の一文がある。電通通信史刊行会の「電通通信史」 (1976; 以下『電通史』と略す) によると現在の広告代理店の電通は光永星郎を創業者とする「日本電報通信社」という通信社に始まっている。
アヘン王である里見甫が巨大勢力”アイドル”である電通の創設に深く関わっていることが見えてきたと思います。
里見甫はロイター通信社の極東支配人とも太いパイプを持っている。ロイター通信社のルーツを辿れば
BABYMETAL WORLD TOUR 2018 インスブルック編
の時に語ったタクシス、ロスチャイルドに繋がる。鮎川儀介の「ふぐ計画」もあるように巨大勢力”アイドル”はヘッセン陣営との繋がりがあることが分かります。
で、戦時中は関東軍の諜報活動を行っていた。つまり、巨大勢力”アイドル”は関東軍、大日本帝国陸軍の情報機関であるということ。
そして戦後は、この満州関係の人脈が巨大勢力”アイドル”の黒幕として、日本中に張り巡らされたということです。
又、この巨大勢力”アイドル”のルーツ、そういえば鈴虫さんも触れていました。さすがこの方はよくご存知でいらっしゃる。
「阿片王~満州の夜と霧」 佐野眞一
今更ではあるのだが、旧満州帝国における関東軍の闇資金が、
麻薬(阿片)売買によって賄われていて、
で、その生き残りの残党たちが戦後の日本復興の黒幕的立役者。
かのあべしんぞー先生のご祖父あられるところのミスター昭和の妖怪:岸信介翁から、
その実弟であるところのブルドックソース・佐藤栄作から、
電通から始まるメディア関連、果ては右翼から左翼から財界、宗教界に至るまで、
ぶっちゃけ、現代日本の津々浦々、隅から隅まで、
そのほとんどすべてがこの満州関東軍軍閥の残党、あるいはその一派の腰巾着。
上海だ満州だでブイブイ言わせていたドヤ顔のドラッグディーラーたち、
その黒い人脈が戦後日本の闇の底で網の目のように繋がっているんだぜ、
なんてことは、まあ余程の馬鹿でない限りは先刻ご承知。
鈴虫さんの知見の深さから語られるBABYMETALについては必見です。多くの気づきを得られるかと思います。
日本はこの人脈が背後に周り、電通「巨大勢力”アイドル”」を通じて情報をコントロール。(フツーに考えて各TV局が取り扱うニュースのメニューが全て同じということに違和感を感じませんか?)
「昨今、世界は巨大勢力”アイドル”の圧倒的な魔力によって支配され、「メディア」「政治」「経済」を含む全てがアイドルに牛耳られていた。。。」という一文の意味の深さが感じられると思います。
そして、問題なのは岸信介が総長を務めた皇學館大学に見られるその思想。
岸信介の孫である安倍晋三。今、盛り上がっているモリカケ問題の本質は細かい手続きの話ではなく、背後にあるその思想。つまり、現日本国のリーダーを取り巻く思想が国家神道というカルト宗教であることが問題だということです
巨大勢力”アイドル”(電通)の根本思想
メタルレジスタンス
それは、聖なる戦い
来るべきハルマゲドンにむけてBABYMETALは
最後の聖戦の場となる”フライングVの丘”へと向かうのであった
メタルの神々を司るキツネ様は最後の聖戦に向けて
ギターの神
ベースの神
ドラムの神を降臨させ
最強のメタル楽団を結成しBABYMETALに更なるパワーを与えるのであった
残された時間はあと僅か
神の降臨に”永遠”はない
いよいよ聖なる戦いの最終章が始まる
皇學館大学について見ていきます。皇學館大学国家神道の神職や教員の養成にあたっています。
Wikipedia-皇學館大学-(重要と思われる所を抜粋)
1882年(明治15年)に伊勢神宮祭主であった久邇宮朝彦親王の令旨によって林崎文庫に設置された神宮皇學館を母体とする[1]。主として神職や教員の養成にあたり、1903年(明治36年)に官立の旧制専門学校(内務省所管の宗教系旧制専門学校)を経て、1940年(昭和15年)には旧制の官立大学(文部省所管)になるが、第二次世界大戦終結後は国家神道を推進した機関の一つとして、いわゆる神道指令を受けて廃学・解散した。現在の大学は1962年(昭和37年)に私立大学として、旧制神宮皇學館の関係者が中心となって「再興」したものである。
大教宣布(天皇に神格を与え、神道を国教と定めて、日本(大日本帝国)を祭政一致の国家とする国家方針を示した。)や近代社格制度の整備に代表される、(明治)新政府の神道国教化の推進政策の影響を受け、神宮でも本格的な教導職の養成機関を作り、全国への神道の布教をはかる動きが起こった。そこで、当時神宮少宮司の地位にあった浦田長民らが中心となって設立したのが神宮教院であるが、これが皇學館の源流である。
上等段階の学習では、キリスト教の『聖書』も使用されており、その内容の多岐さから、布教活動のための人材養成としての側面をうかがうことができる。
皇學館大学の初代総長は戦後の内閣総理大臣である吉田茂。2代目が岸信介です。
そして、久邇宮朝彦親王ですか。明治以降の日本の真の歴史を知る上で重要な人物ですね。
裏天皇
いずれ触れる事になるでしょう。
そして伊勢神宮にも注目です。国家神道の頂点に伊勢神宮が配置されています。国家神道とは、近代天皇制国家において作られた一種の国教制度。
「国家神道」は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの、狭義には「宗教」とされた「教派神道」に対して、「神社非宗教論」の立場に立ち、内務省神社局によって統制されたものをいう。国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官、教部省による神社行政も含まれる。
非宗教説
神道は「国家の宗祀」であって「宗教」ではないというのが政府当局の見解であった。行政上も1900年(明治33年)に内務省社寺局から「神社局」と「宗教局」に分離することにより、神道とその他諸宗教を明確に区別した。
明治政府は、天皇をトップとした社会構築にあたり、国民の精神的支柱として神道を採用した。 五箇条の御誓文も天皇が神に誓うという形式を採用した。
宗教説
菱木政晴は世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、比較宗教学や文化人類学の成果をもちいることによって困難なく抽出可能であるとして以下のようにまとめている。
- 聖戦 – 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
- 英霊 – 聖戦に従事して戦死すれば神になる。よって(聖戦を戦ったからなのか、神だからなのか不明)死んだ者を祀る。
- 顕彰 – 英霊を模範とし、それに倣って後に続け。
そして、「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。また、国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。
柳川啓一は以下の4点を挙げて「国家神道は明確な教義を有していた」と指摘している。
国家神道を見ていくと、靖国神社に代表される聖戦や英霊と言った精神が宿っていることが分かります。
日本において神道は風土や日本人の精神に宿るものとして、キリスト教やイスラム教といった宗教とは別物であるという見方がされますが、キリスト教やイスラム教もその国の風土や精神を表していますので、私は神道が宗教ではないといった論には違和感を感じてしまいます。
- 日本は特別に神の保護を受けた神国である。
- 世界を救済するのは日本の使命。
それにしてもドラマチックに盛り上げてきますね。ドラマチックに盛り上げ、その幻想に人の精神を取り込む。
「他国への進出は聖戦。天皇は親であり、臣民は子。天皇への忠は孝ともなる」
聖戦は自国の戦闘は常に正しいものであり、自国民はそれに参加することは義務であると押し付けらる。聖戦によって死んだ場合は、神になれる。
おいおいおい。
ここまで思考をコントロールすることができればこれは立派な洗脳。カルト宗教そのもの。
はっきり言えば「私のために貴方は死ぬべきである」と言っています。
やなこった。
他者を神として崇める。。。
それって偶像崇拝でしょ?
そして「生命を捧げろ」と求めてくる。
フツーに考えてみて下さい。もし、あなたが子供を持つ親であった場合、我が息子や娘に「生命を捧げろ」と言えますか?
もし、神様がいたとしても「生命を捧げろ」なんてとても傲慢ですね。そんなもの、私は神様とは認められません。お断りです。ハッキリ言ってそれは悪魔でしょ?
戦時中はこの精神が同調圧力として強烈に日本国民にのしかかっていた。今もこの精神が、ここまで直接的ではありませんが姿形を変え、色濃く残っています。
自己を他者に預ける。つまり、他者に依存するということ。依存は他者の存在を借りることにのみでしかアイデンティティーは確立できません。
精神的に独り立ちできず、常に寂しさや自身の無さに悩まされ続けます。自己を自ら満たすことができず、他者から奪わない限り満たすことができません。
偶像崇拝による依存。
人はエネルギーがなければ生きて行けません。依存は他者からエネルギーを奪います。
エネルギーヴァンパイア。
エネルギーを自ら創り出すことができず、常にエネルギーが不足がち。満たされない精神はいつも不機嫌でイライラしてばかり。結果、攻撃的になり、勝てる相手を探し求め、イジメを行い、一時の快楽を得る。
カッコ悪い。
こんな考え方するから満州であんな残虐なことができるのでしょう。
それは、三次元空間に囚われた幅意識の偽りの神、偽一神教のプロビデンスの目に囚われているから。
そして、残念ながら現在もその精神が脈々と引き継がれ、断罪するといった違う形のイジメが蔓延っている。
巨大勢力アイドル(電通)の文化・風習 BABYMETALのメタルレジスタンス
陰鬱な情報ばかりに触れ、心が荒れてしまいました。なんかこう、無性に怒りがこみ上げてきます。
「ざっけんじゃねーぞー!!おい!!オラ!!」
ハイ。スッキリ。
必要なのは自立です。
だいぶ長くなってしまいました。まとめます。
まとめ
- 巨大勢力”アイドル”の歴史を辿ることで満州に行き着き、満州では731部隊による人とは思えないほどの壮絶なイジメが横行していた。
- 満州の中心人物として岸信介。現在の日本国リーダーである安倍首相の祖父。岸信介が織り成す華麗な人脈の一人、里見甫を見ることで巨大勢力”アイドル”のルーツが分かる。
- 巨大勢力”アイドル”は日本に不幸を呼び込んだ帝国陸軍(関東軍)の情報機関であり、戦後もその人脈が黒幕となって日本中に張り巡らされた。
- 巨大勢力”アイドル”はメデイアを支配し、普段目にするTV、新聞などの情報をコントロールしている。
- それを見る庶民は、巨大勢力”アイドル”にとって都合の良い情報で思考を行ってしまう。
- 思考が繰り返され、行動が促されることにより、巨大勢力”アイドル”が望む現実が創造される。それが「A-KIBA」の魔力。
- その思想の根本に国家神道というカルト宗教。他者を神とした偶像崇拝。奪うことが主。そこに暮らす人の幸せは望んでいない。
私が言いたいのは唯一つ。
そこから離れろ!
Legend”Z”
それはZEROから始まる”誕生”と ZEROへと向かう”終焉”が 時空を越え、時を同じくして動き出す物語
“メタルレジスタンス”の使命を果たすため
BABYMETALは新たな生命を手に入れたのだ
“金色の月と紅の太陽が重なり合いこの世に漆黒な闇が訪れる時すべては終わるのだ”
黙示録に記された来るべきその日まで
残された時間はあと僅か
カウントダウンは始まった・・・
そう 破滅に向かって
ここまでお読み頂きありがとうございました。今回の記事で認識をアップデートして頂けましたら幸いです。
それでは。また。
おち
次の記事→YUIMETALとMOAMETALの根底に流れるもの メタルレジスタンス
※アイキャッチ画像は、くろもり @crmo2018 さんの作品です。お借りさせて頂きました。