フランス革命 ロスチャイルドのデビュー戦 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ“【後編】

フランス革命 ロスチャイルドのデビュー戦 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ“【後編】

こんにちは。おちです。

前回の フランス 啓蒙思想 フリーメイソンと初期イルミナティはライトサイド メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ“【中編】 の続きです。

今回はフランス革命(1789年-1799年)のお話になります。

では、早速始めたいと思います。

ライトサイド フリーメイソンのフランス革命

一般的にフランス革命とは、

  • アメリカ独立革命(1775年-1783年)と同様に世界史上、代表的な市民革命であり
  • ブルボン朝の絶対王政(アンシャン・レジーム)から立憲王政、そして共和制へと移り変わり、
  • 資本主義の発展と資本主義憲法(人民主権、権力分立、自由権)が確立されたもの

と言われています。

『人民主権、権力分立、自由権』という封建制度の隷属的人間関係の解放が実現されたことから、『フランス革命=正義の革命』という印象です。

両大陸の英雄 ラファイット

その正義の革命で一段と光輝いているのが、ラファイエットです。

ラファイエットは、ベンジャミン・フランクリンのフランスにおけるロビー活動に触発され、周囲の反対を押し切り自費を投じてアメリカ独立革命に参戦します。

そこで、アメリカの独立を決定的にした1781年のヨークタウンの戦いに重要な役割を果たしており、フランスに帰国すると「新大陸の英雄」と称えられ一躍名声を得ています。

アメリカ合衆国の建国の父であるジョージ・ワシントン、ベンジャミン・フランクリン、トーマス・ジェファーソンらとも親交があります。

さらにラファイエットはフランス革命においても重要な役割を演じます。

彼は啓蒙思想の集大成であるフランス人権宣言(人間と市民の権利の宣言)を起草しました。

これらの偉業により、ラファイエットはアメリカ、フランスの両大陸の英雄と呼ばれています。

ラファイエット。日本ではあまり有名ではありませんが、実は凄い人物なのです。

私はこのラファイエットという英雄を知ってから、フランス革命というのは非常にポジティブなものであり、ライトサイド側の偉業だと思っていました。

暗雲立ち込めるフランス革命

しかし、フランス革命を調べて行くと・・・。

  • ロベスピエールに代表されるジャコバン派による恐怖政治。
  • ギロチンによる無差別に近い処刑の嵐。
  • 市民が暴徒化して無差別に略奪、殺戮を繰り返す。
  • 派遣議員による我が物顔の独裁政治。

とてもライトサイド側の偉業とは思えない事ばかりが起こっています。

そして、フランス革命時に生まれた左翼という言葉。同時期にテロという言葉も生まれています。

フランス革命は、ソ連・中国共産党・北朝鮮などの共産主義やコミンテルンが起こした事象とどうも似通っており、ヘッセン(ロスチャイルド)臭がプンプンと匂ってくるわけです。(日本では赤軍、浅間山荘事件、全共闘などです。)

※ちなみにロスチャイルドはドイツ名でロートシルト「赤い楯」です。共産主義の国旗の赤の由来はロスチャイルドです。つまり、全共闘に参加した団塊世代の方はロスチャイルドに担がれた訳です。参加してしまった方、やっちゃいましたね・・・。(ロスチャイルドのボスがヘッセン。)

さらにフランス革命の過程を詳しく見ていくと、ヴァレンヌ事件ではラファイエットがブルボン家を罠にはめるような行動が見られます。

ヴァレンヌ事件

1791年に国王一家が宮殿で民衆に取り囲まれた際、ラファイエットは集まった群衆を解散させることに失敗。それに危機感を感じたルイ16世やマリーアントワネットは故郷のオーストリアに逃亡することを決意する。そして国王が逃亡しようとした時、ラファイエットは無駄に長居し時間を稼ぎ、逃亡を失敗させる原因を作った。この国王による国外逃亡未遂事件により、ルイ16世とマリーアントワネットのフランス国民からの信用が著しく低下。

ここは誤解しやすいのですが、元々ラファイエットはブルボン家を敵視していたわけではありません。

ラファイエットの思想は立憲君主制で君主の権力が憲法により規制されるようにする啓蒙思想で、ブルボン家の存在を全否定するものではありません。

ラファイエットの立場は、あくまでブルボン家を守る立場だったはずなのですが・・・。

さらにラファイエットはシャン・ド・マルスの虐殺では主犯格として見られ、人気凋落を決定づけています。

ラファイエットは「自由・平等・博愛」のフリーメイソンです。アメリカ独立革命やフランス人権宣言の起草までは己のフリーメイソンたる正義感に従い、ライトサイドよりの行動をしていたと思われます。

それが、後半はヴァレンヌ事件やシャン・ド・マルスの虐殺など、両大陸の英雄の名を汚すようなことばかり。

ヴィヘルムスバート会議 フリーメイソンがヘッセン(イルミナティ)に乗っ取られる

フランス革命の始まる7年前の1782年にヴィヘルムスバート会議がありました。

そこでフリーメイソンの「ストリクト・オブザーバンツ」は息の根を止められ、代わりに台頭したのが「イルミナティ」です。

これを画策したのがヘッセンです。

※詳しくは イルミナティ奥の院 ヘッセン メタルレジスタンス【後編】 を参照。

ここから徐々にフリーメイソンにダークサイドのエネルギーが注がれ始めます。

スペイン継承戦争(1701年-1714年)、七年戦争(1756年-1763年)は『ブルボン家 vs ヘッセン家』の争いである事を

フランス ブルボン家に忍び寄るヘッセンの影 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ “【前編

フランス 啓蒙思想 フリーメイソンと初期イルミナティはライトサイド メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 パリ “【中編】

で、お話しました。

ラファイエットの没落を見ると、もしかしたらラファイエットは途中、ブルボン家を陥れるためにヘッセンのダークサイド(イルミナティ)に取り込まれてしまったのかもしれません。

ダークサイド イルミナティ フランス革命とは・・・?

フランス革命のポジティブ面を見ているだけでは、本当の歴史はつかめないでしょう。現在の世界の構造を理解する事は難しくなります。

世界の構造を理解するためにはダークサイド。水面下で何が起こっていたかを抑える必要があります。

という事で深く見て行こうと思います。

フランス ブルボン家の巻き返し構想

フランス ブルボン家は、スペイン継承戦争、七年戦争でイギリス(ヘッセン)にコテンパンにやられ、国庫破綻の状況でした。

アメリカ大陸やインドの収入源もイギリス(ヘッセン)に奪われています。

さらに隣国ではプロイセン王国(プロシア、後のドイツ。ここもヘッセン。)が台頭してきており、にっちもさっちもいかない状況。

ブルボン家はカトリック(ジャコバイト含む)です。

※ジャコバイトとは、1688年の名誉革命でヘッセン陣営のオランダ総督ウィレム3世(オラニエ=ナッサウ)にイギリスから追い出された勢力(ジェームズ2世など)です。追い出された後、ブルボン家のルイ14世(太陽王)を頼り、そこで支援を受け、フランスに拠点を築いています。

ヘッセンはプロテスタントです。

この頃のカトリックはプロテスタントにやられっぱなし。

カトリックのブルボン家とハプスブルク家は再びカトリックの勢いを取り戻すべく、ブルボン家のルイ16世とオーストリア・ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの娘のマリー・アントワネットと1770年に婚姻関係を結びます。

七年戦争(1756年-1763年)で同盟関係となっていたブルボン家とハプスブルク家。

この婚姻によって、かつての神聖ローマ帝国の覇者であるハプスブルク家とブルボン家が婚姻関係で結びつくことでより強固なものとなり、カトリックは再び勢いを取り戻しました。

さらに、ブルボン家は大物であるカトリックの騎士修道会のマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)とも手を組みます。

聖ヨハネ騎士団とは、テンプル騎士団ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられます。 つまり、十字軍のことです。

※マルタ騎士団は国家ではありませんが、「主権実体」として認められ、国際連合にもオブザーバーとして参加しています。マルタ騎士団は元々、ロードス島出身でロードス騎士団と呼ばれていました。それが1522年のオスマン帝国によりロードス島が陥落、本拠地をマルタ島に移したことからマルタ騎士団に改名しています。

・・・ロードス島戦記好きだったなぁ。

マルタ騎士団の第68代大統領ピントは、当時のフランス ブルボン家の王室財宝官のサヴァレット・ド・ランジュ侯爵にカトリックを再び盛り返すための構想を持ちかけます。

※ランジュ侯爵はラファイエットの補佐官のキャプテンを務めていました。

その構想が下記です。

  • ルイ16世を神聖ローマ帝国皇帝へ
  • 異教徒であるインディアンを征服するという名目で十字軍を結成、新大陸アメリカへ侵攻し新たなカトリックの王国を建設する(フランス ブルボン家はイギリス ヘッセン家に奪われた北米の土地を取り戻す)
  • 教皇の親衛隊であるイエズス会の情報によると南米の仏領ギアナ(隣国はブラジル)の内陸高地に巨大なパメリ湖があり、その湖畔にエルドラド市(黄金郷)があるとのこと。そこへ十字軍を派遣して財宝を奪ってくる(エルドラド十字軍)

また、マルタ騎士団のピントは、プロイセン王国のフリードリヒ2世エキュメニズム(世界教会主義)を呼びかけ、マルタ騎士団とドイツ騎士団(プロイセン=ドイツ騎士団)の統一を図ろうとしていました。

そして、その過程でフランスとプロイセンを和解させることを画策します。

レザミ・レユニとストリクト・オブザーバンツ

ブルボン家にとって、マルタ騎士団のピントの構想は渡りに船です。

ピントの構想通りに事が進めば、プロイセンと和解できるし、新大陸の十字軍が結成され、再びアメリカに拠点を作る事ができる。そして、あわよくば財宝を手に入れる事ができれば、国庫破綻の状況が打開できる。

ブルボン家のランジュ侯爵はこの話に乗ります。

そして、1771年にメイソンロッジ『レザミ・レユニ(結合せる友 Les Amis Reunis)』を創設し、マルタ騎士団のピントのエキュメニズム(世界教会主義)に呼応します。

※レザミ・レユニにはフランス革命の中心人物となるミラボー伯(フランス革命初期の中心的指導者)ロベスピエール(ジャコバン派。史上初のテロリスト(恐怖政治家))などがいます。

さらにブルボン家のランジュ侯爵は、プロイセンとの人脈を築くためにドイツで最も巨大で重要なフリーメイソンの高位階組織であるフント男爵の「ストリクト・オブザーバンツ」と「レザミ・レユニ」の合弁を図ります。

秘密結社の「ストリクト・オブザーバンツ」の人脈と密になる事で、裏でプロイセン(ドイツ)に働きかけれるようになる事が目的でした。

この構想通りに事が進めばブルボン家は息を吹き返していたでしょう。

しかし、この頃のストリクト・オブザーバンツはイエズス会のシュタルクが実権を握っており、フント男爵は追い詰められていました。

そして、1772年にストリクト・オブザーバンツはフント男爵から、プロイセン王国のフリードリッヒ2世の義弟、ブラウンシュヴァイク侯フェルディナントにグランド・マスター職を明渡しています。

ブラウンシュヴァイク侯フェルディナントは、もろにプロイセンの人間。ストリクト・オブザーバンツと繋がることは表立ってプロイセンと繋がることと同義です。

裏で繋がろうとしていたところに直接プロイセンの王族と繋がるのは、さすがに無理な話です。

これにより、『レザミ・レユニ』と『ストリクト・オブザーバンツ』との合弁の話は御破算になります。

フランス 大東社(グラントリアン)の誕生

しかし、ここで諦める訳にはいきません。

マルタ騎士団のピントは新たな話をランジュ侯爵に持ちかけます。

秘策がまだ残っていました。

当時の中近東はオスマン朝トルコに支配されており、ヨーロッパにとっては全くの情報空白地帯でした。

マルタ騎士団の歴史を辿ると、中東のオスマン帝国との争いの歴史です。そのため中近東に関する情勢に詳しく、そこでマルタ騎士団のピントは『エジプト』を狙う事をランジュ侯爵に提案します。

当時のイエズス会や東イギリスインド会社などのヨーロッパ勢力は、南北アメリカ大陸やアジア・インドに盛んに進出していましたが、中近東は強敵のオスマン朝トルコがいたため避けていました。

しかし、エジプトのカイロ市は、オスマン朝トルコにとって首都イスタンブールに次ぐ大都市で、地中海とインド洋を繫ぐ交通と貿易の要衝です。

ここをフランス ブルボン家が支配する事ができれば、今のスエズ運河のように地中海からインド洋に抜け、アジア貿易を展開する上でとても有利に働きます。多くの富をフランス ブルボン家にもたらす事になるでしょう。

さらには、十字軍という名目でプロイセンを誘うこともできる。エジプトはプロイセンにとっても魅力的な話で、うまくいけば和解の道も見えてくる。

もちろん、ブルボン家のランジュ侯爵はこの話にも乗ります。

そして、1773年にギヨタン医師ビュフォン伯爵とともにメイソンロッジ大東社(グラントリアン)を創設しました。

※ギヨタン医師はギロチンの発案者として有名です。

『大東社(グラントリアン)』の目的は、人脈と資金を集める事です。(投資ファンド

レザミ・レユニの人脈(ミラボー伯やロベスピエール)は、「大東社(グラントリアン)」にも所属(兼務)しています。

で、ランジュ侯爵はグランドマスターにルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)を担ぎ上げます。

※ルイ・フィリップ2世は当時、世界一の富豪とされたこともありました。フランス革命時に平等公(自由主義貴族の代表)を自称し、その息子が七月王政の王となったルイ・フィリップ1世です。

オルレアン公家はフランスの有力貴族で、フランス国土の5%がオルレアン公家のものでした。

国王と違って、公費支出が無いため相当な資金力が期待できます。

・・・ここまでは順調です。

ロスチャイルド登場

しかし、オルレアン公家の資金力は期待されるほどのものではありませんでした。

なんと、このルイ・フィリップ2世。

私生活は放蕩かつ無節操で、民衆に開放した自分の宮殿パレ・ロワイヤルは歓楽街として使われ、政治的な危険分子はもちろん、娼婦の溜まり場にもなるなど背徳が進んでいます。

そして、ルイ・フィリップ2世自身もその浪費癖によって借金まみれになっていました。

さらにその借金の相手がよりによってユダヤ人。

そう、あのマイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)でした。

参考:フランス革命とゴールドシュミット・ロスチャイルド + 「完全犯罪」(さてはてメモ帳 Imagine & Think!さんより)

ルイ・フィリップ2世の背後にロスチャイルド。

大東社(グラントリアン)は自ずとロスチャイルド色に染まっていきます。

そして、大東社(グラントリアン)にエリュ・コーエン(選良司祭団)の思想が取り入れられました。

※エリュ・コーエン(選良司祭団)とは、カバラグノーシスなどの神秘主義、神智学運動の元となる思想です。参考:サン・マルタン

また、同時期にマルタ騎士団からカリオストロ(宮崎駿監督のルパンIII世のカリオストロの城が有名)が大東社(グラントリアン)に送られ、フリーメイソンのエジプト起源説がフランスで流布されました。

フリーメイソンがピラミッドを建造した説やプロビデンスの目など、フリーメイソンのエジプト化はこの流れで醸成されていきました。

出典:Wikipedia

 

 

大東社(グラントリアン)ではエジプトへの意識が高まりつつありましたが、そこにアメリカ独立革命(1775年-1783年)が勃発。

期待していた資金もルイ・フィリップ2世によって背徳な娯楽によってロスチャイルドに吸い取られており、エジプト十字軍どころではなくなりました。

またもマルタ騎士団のピント、ブルボン家のランジュ侯爵の思惑はうまくいきませんでした。

逆に大東社(グラントリアン)の人脈をロスチャイルド(ヘッセン)にいいように利用されてしまいます。

16.フリーメーソンのブルー・ロッジ内部に大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名のもとで、自らの活動の真の意味を隠すことは可能である。大東社に参入するメンバーは、ゴイムの間に無神論的唯物主義を広めるために利用されなければならない。
またちょっと解説します。フリーメーソンというのは33階級あって、下から三つが徒弟・職人・親方という階級になっています。この三階級のことをブルー・ロッジと言い、つまり一般的なフリーメーソン会員が集うロッジ(集会場)という意味です。大東社というのは英語ではGrand Orient Lodgeであり、Grandには統括するという意味がありますので、東洋を統括する支部という意味になります。現在はフランスのフリーメーソン本部がGrand Orient Lodgeと名乗っています。

引用元:ロスチャイルドの世界革命行動計画

フランス革命とイルミナティ 実行部隊の銀行家ロスチャイルド

ランジュ侯爵によって創設された「レザミ・レユニ」と「大東社(グラントリアン)」の二つのメイソンロッジ。

レザミ・レユニは、ストリクト・オブザーバンツ(ドイツのフリーメイソン)の縁により、ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデをフランスへ招待しています。

この頃、既にストリクト・オブザーバンツは1782年のヴィヘルムスバート会議でヘッセンに乗っ取られ、イルミナティ化しています。

ストリクト・オブザーバンツの人脈の殆どがイルミナティに流れています。(ブラウンシュヴァイク侯フェルディナントも)

そして、ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデのフランスでの活動の結果、レザミ・レユニと大東社(グラントリアン)のメンバーをイルミナティに迎える事に成功しています。

その中に「ランジュ侯爵、ルイ・フィリップ2世、ミラボー伯、ロベスピエール」がいました。

ミラボー伯とロベスピエールはラファイエットと並ぶフランス革命の立役者です。ちなみに三人ともジャコバン(フランス革命期の政治結社)です。

ミラボー伯は演説の才能が抜きんでており、フランス革命の中心的指導者でした。

ミラボー伯は1789年にジャコバン・クラブを設立しています。

しかし、この人物もまた放蕩者として評判で多くの借金を抱えていました。

で、ミラボー伯の借金の相手はドイツのユダヤ人の哲学者・啓蒙思想家であり、大金融家でもあったモーゼス・メンデルスゾーン。ロスチャイルドと親交のある人物です。

ミラボーの背後にもロスチャイルド。

そして、ロベスピエール。フランス革命の代表的な革命指導者で史上初のテロリスト(恐怖政治家)と呼ばれ、1793年に公安委員会(自由の確立のためには暴力が必要であるとして「自由の専政」のために創られた)に入ってからの約一年間、フランスの事実上の首班として活動しています。

マイヤー・アムシェル・ロートシルト(初代ロスチャイルド)は、フランス革命の口火であるバスティーユ襲撃(1789年)と同じ年にヘッセン=カッセル方伯家の正式な金融機関の一つに指名されています。

1782年のヴィヘルムスバート会議でヘッセンはフリーメイソンのストリクト・オブザーバンツを乗っ取り、クニッゲ男爵とボーデによってイルミナティへ接木しています。

経済的に何の後ろ盾のないフランス革命軍にヘッセンの命を受けたロスチャイルドが資金提供、裏で操ります。

フランス革命はフリーメイソンの革命であった噂は絶えませんが、実際にフリーメイソンという組織が主体となって起こしたものではありません。

ヘッセンがロスチャイルドを使って巧みにフリーメイソンの人脈をイルミナティに取込み、その人材をコントロールしたのがフランス革命ということなのでしょう。

まとめ

フランス革命の結果、ブルボン家は打倒されました。

また、フランス人権宣言で迫害されていたユダヤ人の人権が認められています。

フランス革命以降、絶対王政から資本主義社会へ移行します。銀行家が活躍できる環境です。

そして、フランス革命によって最も利を得たのがヘッセンです。

スペイン継承戦争、七年戦争は『ブルボン家 vs ヘッセン家』です。フランス革命も『ブルボン家 vs ヘッセン家』でした。

しかし、今回のやり口は巧妙でヘッセンが表立って攻撃を仕掛けた訳ではありません。

ロスチャイルドという銀行家を使い資金提供することで傀儡を作り上げます。

その傀儡に攻撃させ支配させる間接統治。

この時代は啓蒙思想が活発となっており、民主主義への渇望が高まっていました。

そこで傀儡を啓蒙思想の民主主義の代表者として看板を立ち上げ、黒幕は民主主義のヴェールの裏に隠れる。

ヴェールを剥がせば、民主主義はハリボテでそこに潜んでいるのはピラミッドシステムの頂点に君臨する王族です。

フランス革命はピラミッドシステムによるヴェルヴェット支配が確立されたモノと見てよいでしょう。

そのピラミッドシステムによるヴェルヴェット支配の象徴が、プロビデンスの目。

出典:Wikipedia

※フランス人権宣言の頂上にピラミッドシステムの象徴であるプロビデンスの目が据えられている。

ヴェルヴェット支配確立の大功労者であるロスチャイルド。

ロスチャイルドはフランス革命を契機に飛躍的に発展、現代では世界の帝王とまで呼ばれています。(違いますけど)

・・・

そして、フランス革命から200年以上経過した現代。

途中、アメリカ建国の父の系譜である国際秩序維持派の反転攻勢により、ヴェルヴェット支配に大きく風穴が開き、真の民主主義へ一歩近づきました。

しかし、ヴェルヴェット支配は未だに根強く、真の民主主義も道半ばです。

※特にメディアはヴェルベット支配が強い。

プロビデンスの目を反転させ、本当の歴史を掴み、世界の構造を知る。

出典:BABYMETAL(LIVE AT BUDOKAN~ RED NIGHT & BLACK NIGHT APOCALYPSE)

理解を深めた私達の思考のその先に真の民主主義(エルドラド)があるのだと思います。

・・・

以上で『WORLD TOUR 2014 パリ』が終了となります。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

おち

次の記事→プロイセン ケルン大聖堂とドイツ騎士団 メタルレジスタンス “WORLD TOUR 2014 ケルン”【前編

※アイキャッチ画像は、くろもり @crmo2018 さんの作品です。お借りさせて頂きました。

本記事を執筆するにあたり、下記を参考にしました。

参考:十八世紀ヨーロッパの山師たちを巡る対話:フリーメイソンと外交革命/純丘曜彰 教授博士

参考:J.J.Chr ボーデのパリ旅行 ーフランス革命前夜の一エピソードー

参考:ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデと 18世紀のフライマウレライ

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